祖堅方範の高弟たち

祖堅方範の高弟には7名いました。しかし、高弟たちは互いの存在をあまり知らされていません。理由は、祖堅自身が弟子のレベルに併せて個人指導を行っていたためです。ですから、名前は知っていたとしても互いの交流まではありませんでした。そんな中、喜納政順(以後、喜納)と西平向盛(以後、西平)だけは違っていました。喜納は1953年に祖堅に師事、西平は1957年に師事しています。いわゆる兄弟子である喜納は、弟弟子である西平の良き相談役として長きにわたり交流を行っていました。

喜納は、祖堅の拝命を受け沖縄手の統一のために渡米することとなります。一方、西平は沖縄に留まり、祖堅の側で少林流松村正統を守っていました。喜納が沖縄に帰郷後は再び祖堅のもとで修行を積み、西平もまた喜納と共に修行を積んでいました。それから、いつしか二人が祖堅の高弟として名を知られるようになりました。

高弟としての喜納は、祖堅道場の指導者として道場生の指導を行うようになります。そして、祖堅より少林流松村正統として第一号の師範を命じられました。

喜納政順は少林流松村正統第一号の師範です。

道場生の中にはアメリカ人であるGene Briscoeがいました。Gene Briscoeは、とても稽古に熱心だったため喜納は祖堅のもとへ度々連れていき、一緒に稽古を行うようになりました。Gene Briscoeはその後、アメリカ国に帰り、ラスベガスにて守礼館を設立(現在はGeno Briscoeが引き継ぎ、交流は続いる)。

1983年、喜納は祖堅より少林流松村正統の継承者と任命されるようになります。そして祖堅より師範の称号を受け少林流松村正統の伝承につとめました。